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R3-061 アンコモン 戦略的撤退/Strategic withdrawal サプライズ 消費チップ1 使用タイミング:自国力フェイズ中いつでも 絵/巻物 イラスト/ねぐ 自軍ユニット1体を対象とする。ターン終了時まで、対象ユニットからダメージ、行動、能力の使用で気力チップが取り除かれた場合、そのチップは使用済みチップではなく未使用チップ置き場へ置かれる。 攻撃が高いユニットに使い、チップのロスを抑えるのが主要目的といえる。 戦術的撤退と名前が似ているので間違えないようにしよう。
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クラス構成でヲリ構成の解説をしたが、この構成の良さは攻める時の燃費の良さにある ヲリの攻撃は単体(スマッシュ、ヘビスマ)、範囲(ベヒ、ドラテ、エクス、ランペ)のどれをとっても 他のクラスよりPW効率に優れたスキルである 同じダメージを与えるために必要になるPWを、クラスごとに比較してみればわかるだろう したがって味方のヲリが特攻死するようなお粗末な動きをしなければ、 短剣や氷の起点にあわせて敵に攻撃していくだけで、畳み掛けるようにキルを連鎖させることができる 敵が反撃してきて削りあいになった時でも、燃費と硬さで削り勝つことができるのである そういう意味では、攻撃と防御のうち、攻撃は構成をいかすだけである程度形になると言える この部隊でも、特に何の練習もしていないが、攻める時は構成のおかげで一応の形が既に出来ている しかし防御はそう単純ではない 一番問題なのは撤退の足並みを揃えることである 撤退はただ単に削れたから下がるというものではない 被害が出ていなくても撤退をすることが最善である場合も多く存在する 有利な地形で敵をキルし続けるために、細かく撤退と攻撃を使い分けたり 敵を引っ張るために下がる場合も、人数差を埋めるために下がる場合もあり、そのすべてに言えることは 全員がまとまって下がらなければ何の意味もないということ どこまで下がるか、地形をどう使うかということについて、日ごろから部隊内で全員がコンセンサスを得ていないと、実際の戦場ではきちんとした形にならないのである バラバラに下がって居残った人がデッドする、味方を囮にして下がったものの、攻めるために必要なクラスがいない、など、長く人数差を押し付けられることは、一瞬一瞬で見ればたいしたことではないように感じるかもしれないが、それが45分続けばすなわち敗北するということを意味している VCを利用すれば、その場でうまく撤退の指示を出してまとまることができるが、この部隊ではVCを利用しないことが決まっているので、そうすると日ごろの練習と意識の共有が欠かせないことになる 部隊の強さは防御・撤退にこそ現れるという意識を、まずはみんなで共有したい 適当な集まりでなく、強い部隊を目指すなら避けて通れない最重要課題である ※とりあえずのメモ。
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🤣 「1週間ぶりにシャドバやるかw」 🤗 「ん?対面はロイヤルかw」 🤣 「機械ネメシスの強さ見せたろ」 👸🦁「ここはわたくしに下がれミストリナ!」(ドン!) 🥺 「ちっ…雑魚が息巻きやがって…」 👸🦁「…………………………」 👸🦁「撤退!!」 🥺 「え!?」 👸🦁「ここはわたくしに下がれミストリナwwwww」 👸🦁「オラァ!!」 😇 「ぐええええええええ」 👸🦁「また雑魚を狩ってしまった…w」 👸🦁「敗北を知りたい…w」
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■撤退確認(キャラシ消失or撤退明記) ガラサ ウルフェン コール キオ ロゼ リコ ベルモット ラグナロッタ・B・ハックターン 兎 ラルフ・バークレイ リオ・ヴァロット ミック ウリッセ フィール・スタンディ アベル エニシ レナート ルイジ・ポリーニ ロート・カタラーニ アドルフォ・バルバトール キアロ オージ・ボルジア フリーテ ヴァイオレット アルヴィン・ベイツ メグミ・グッドマン 潤太 リイナ ヴィヴィ ニコロ レオン・ハーティス キティ・オリーヴァ イチカ・フィリップ 倉市サクト ボーマン リヒト アーク クロト ガロ リシャール・ファーゲルホルム お疲れ様でした! ※私のデータに残っていた限りなので、もっと前に撤退された方は記載できていません
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ピュロス撤退センリンビーチ サラク地区 失われた大地 コメント ピュロス撤退 センリンビーチ ハンヴィーの機銃座での戦闘 トロフィー情報 ランク トロフィー名 条件 備考 残敵掃討 海岸で40人以上のヘルガスト兵を倒す "海岸"で取得のため、APCの出現する道路に入る前に40人倒す 全ソーブレード破壊 追撃するソーブレードAPCをセンリンビーチセクションですべて破壊する 煙を上げる残骸 センリンビーチでヘルガストの戦車をすべて破壊する サラク地区 前半は味方を援護しながらの移動 後半は狙撃戦。指示に従い相手の狙撃手を攻撃する トロフィー情報 ランク トロフィー名 条件 備考 イントルーダーを救え (隠しトロフィー) アークAPC破壊の支援に成功する 失われた大地 前半はエクソスケルトンに乗っての戦闘 コメント ※質問コメントはよくある質問を参照。 海岸で四十人倒せません…コツありますか? -- 名無しさん (2011-04-27 21 29 25) ①難易度は1番簡単(仲間も倒すことがあるから、あんまり倒されちゃう場合は2番目に簡単なやつ) ②コントローラーの感度を下げる(狙いをつけるときだけ下げて、早く方向変えたいときだけ感度上げてもいい。) ③トロフィーが出るのは海岸までで、敵の車両が出るとこまで行って取れなかったらやり直し これだけやってできなかったら、一度ほとんど攻撃せずに、どこから何人敵がわくか見るだけの回を作った方がいい。 -- 名無しさん (2011-04-27 21 50 31) ありがとうございますっ 参考にさせて頂きます -- 名無しさん (2011-04-29 01 18 38) 40人倒すトロフィークイックリスタートでもいいですか? -- 名無しさん (2011-04-29 15 16 57) 一つのセクションで取れるトロフィーはクイックリスタートで取れるよ。モウラーとかジャングルとか三つくらいにまたがってる場合は少し注意しないといけないけど、そっちでも使える。 -- 名無しさん (2011-04-29 16 14 06) クイックリスターとの件ありがとうございますっいつもみなさん助かります -- 名無しさん (2011-05-05 16 56 18) 最初のデモの終わる寸前辺りにスタールどや顔してた -- (´・ω・`) (2011-07-02 01 16 47) 名前 コメント 全部読む
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堺撤退戦 堺撤退戦(さかいてったいせん)とは永禄11年に姉小路家と三好家の間で起こった戦いである。 参加兵力及び戦力評価 姉小路・堺駐留兵 0(正規軍に限る) 守将:七里頼周(三好の攻撃開始の際には既に撤退済み) 残物資 馬:0 鉄砲:0 (ただしこれは三好攻撃直前に限る) 撤退部隊(10月3日) 輸送隊10109 七里頼周 三好・勝端城兵11217 鉄鋼船:鉄砲隊6500:三好長逸、織田信長 鉄砲の性能、実戦運用に関しては姉小路側に一日の長があったが、三好は最新兵器、鉄甲船を実戦に投入し、不利を補おうとした。 姉小路は多方面で作戦を行っており、この三好の進撃への対応は、実質的に不可能の状態だったといえるだろう。 合戦概要 第二次姉小路包囲網結成後、虎視眈々と畿内奪回の機会を伺っていた三好は姉小路の尾張攻勢、上杉の越中攻勢をその好機と考え、堺への攻撃を決断した。 9月下旬に三好軍主力は勝端城への集結、編成を完了、10月に入るなり出撃を開始した。 姉小路にその方が伝わったのは、四国沿岸に少なくない労力を払い、弱体ながらも張り巡らしていたピケットラインが街道を北上する三好軍を発見した10月3日が有力とされている。 この頃の姉小路にとって、海というのは全くの異質の存在であった。飛騨出身の重鎮達はその戦い方を知らず、意外な事に異能の者達でさえ、海のなんたるかを知った者は不在であった。 また、有力な将のほとんどが不在の状況下でもあり、姉小路側は戦えばいたずらに損害を増やすと判断し、撤退を決断した。 最終的に堺が三好の手に落ちる11月28日までの間、堺の街はかつてないほどの慌ただしさを迎えることとなる。(詳しくは後述) なお、同時に進められていた吉田郡山攻めはあっさりと追い返されている。 この戦いの影響 三好はこの勝利によって再び近畿への足がかりを手にすることができた。だが、既に堺の街の機能はほぼ失われており、三好の期待した莫大な戦略物資、及び姉小路の築いた畿内の交易ネットワークの破壊は行えず、姉小路の収益にわずかな打撃を与えたに過ぎなかった。 逸話 余談ではあるが、以前にも三好は堺への侵攻を行ったことがある(1565年10月・Act50)が、そのときは清水宗治にあっさりと追い返されている。このときの兵力は姉小路10000、三好15000であったことは当時の三好水軍の貧弱さを物語っている。(あるいは水上での鉄砲戦に馴れていなかっただけか) ついでに言えば、今回の三好軍は織田信長が参加している。かつて織田家によって畿内を追われ、その信長と共に畿内への帰還を果たした三好家。長逸あたりは心中複雑であったことだろう。 「天下の大夜逃げ」堺撤退戦 堺の特徴 後の歴史ではあまり深くは語られていないが、この三好の堺攻勢は永禄11年に起こった合戦の中では、尾張攻略戦と並ぶ極めて重要な戦いであった。 尾張への攻勢は、武田に対する東征の始まりを意味したものなのは、最早語る必要もないだろう。武田にとっても尾張は、疲弊した経済、軍事力を立て直す要衝であり、状況次第では弱体化した北条にとどめを刺す為の攻勢拠点であった。 尾張が軍事的に重要であったのに対し、堺は別の意味、すなわち経済の面で非常に重要な都市であった。 この時代、既に堺の街の人口は8万を越え、なおも増加する傾向を見せていた。 平安時代、熊野詣や、弘法大師信仰を広める際の宿場町として歴史に登場した堺は、数百年の時をかけて徐々にその商業・軍事的特性を強めていた。 三好→織田→本願寺と名だたる大名家によって制圧された後でも、堺の自治組織(納屋衆や三十六人衆)はそれらに対し時には牙を向け、時には交渉することで他とは異なる一定の自治を認めさせていた。 織田信長はそれを徹底的に弾圧、破壊する予定だったのだが、他家からの侵攻に呑まれ、実行する機会はついになかった。 姉小路が支配下になってからもそれは変わらなかった。(姉小路家は他の町と同等にしたかったようだが、高度な生産加工能力をも合わせ持つ堺の取り扱いにはかなり苦労したようである。) もちろん、数々の大名家を苦しめた中には名だたる豪商が多数おり、彼らは堺を起点に畿内の各所で商売を行っていた。 米、日用品、酒、醤油、塩などの生活物資、鉄砲、弾薬、槍、刀、武具といった軍需物資を収めた蔵は堺の至る所に存在し、その総量は姉小路の軍事活動を丸3年は支えられる程であった。 また、畿内最大の人口を要し、交通の要衝でもあった大坂の街の台所という側面もあり、大陸から運ばれた硝石貿易の終着点でもあった。 本願寺が支配した経緯から一向宗の門徒や、南蛮貿易や布教のために訪れた宣教師なども大勢住んでいた。 文化的にも、宗教的にも、或いは経済的にも極めて重要な都市であった。 姉小路の経済特性 姉小路の保有する総資金額は武田に大幅に劣っている。だが、これはあくまで表面上であり、その内実は全く違った。 武田はその収益のほとんどを市場に流さず、手持ちに留めていた。これは民衆に力を蓄えさせず、反乱を起こさせない狙いだった。 そのため、兵一人一人に武具を買い与えなくてはならず、その武具の調達にも姉小路とは比べものにならない費用と時間がかかっていた。(流通網と市場が発達していないため) 一方の姉小路は絶えず資金を流動させる事によって、市場の活性化を狙っていた。これによって民の生活を肥えさせ戦役に伴う不満を逸らす狙いだった。 そのため、姉小路手持ちの資金は少なくとも、民や兵自体の生活レベルは比較的高く(美濃は例外的といえる)武具の調達等を個人単位で行える者が少なくなかった。(中には職人に頼み元込銃の銃身を切り詰めるなど、独自の改造を行った兵士もいたという)。その他にも物資の流通を良くするための街道整備や、疫病(脚気や結核から伝染病に至るまで)対策、寺子屋の設営、実施などの教育分野への投資。(飛騨、白川には武将専用の教育施設があったとされるが、後の地震によって該当地が、その他運営記録は火災によって焼失、詳細は不明となっており、何者かによる陰謀説も囁かれている) などの数々の政策は、いわば将来的な投資として実行していた。これによって姉小路の収益自体は年ごとに桁違いに増加し続けたと考えられている。 姉小路領内の循環資金は、その時代の他家全ての資金を合わせた額をも遙かに凌駕していたという。 そしてその流動資金が多く集まるのも、堺の特徴であった。 余談だが、姉小路は武将の統括については、武田、北条に比べ遙かに劣っていた。 松永、滝川、異能の者全般や本願寺などを抱えた大所帯とはいえ、その軋轢は大きかったという。 話を戻すが、今回の三好の攻勢によって、この経済圏が一気に破壊される可能性が出てきた。 それを恐れた姉小路側は、当時からは考えられないほどの大規模な撤退戦を決心する。 豊かになったを言い換えれば、力をつけたといえる民衆がそれを後押ししたのも大きかった。特に商人的な思考が強く「権力に反抗的で戦に向かない」との風評がある摂津、河内の風土の特性が色強く出たということだろう 三好側の状況もそれを後押しした。当時三好の軍港となっていた宇多津には小規模な水兵が配属されているに過ぎず、陸軍の大多数は勿論、水兵までもを勝端城に駐留させていた。理由としては、畿内を失い弱体化した戦力を少しでも補うため姉小路の同盟国、長宗我部を隙あらば攻撃し、軍門に下らせようという狙いがあったと見られている。 陸上戦闘ではほとんど戦力としてあてにできない水兵をも配置したのは、長宗我部に対する戦力的な欺瞞工作という面が強かった。 姉小路の渡洋侵攻能力では宇多津を含めた四国東部に上陸してくることはありえないという判断の結果でもあった。 これが今回、裏目に出た。 勝端から出撃港となった宇多津(鉄甲船の整備が出来るのはここの港のみだった)までの行軍に無駄な時間を要することになる。 勝端に駐留していた水軍兵が、普段輸送にも関わっていない兵ばかりで、陸軍への転換を行っている最中だったのがさらに状況を悪化させた。 陸海ともに中途半端な練度しか持ち合わせていないため、行軍中に鉄砲を暴発させたり、方角を間違え、足軽頭もろとも一部隊が行方不明という惨劇すら広げた。 辛うじて港にたどりついてからも、多くの問題が噴出していた。 まず、鉄甲船に問題が発生していた。数年の時を得てパチュリー・ノーレッジが開発した鉄甲船にも経年劣化が生じていた。 三好には新造艦を作る技術も設備もなく、けして効果的ではない修理、整備を行っているだけに過ぎなかった。 汐風によって船体には錆が回り、同時に多数のフジツボが定着、その無様な光景を見た織田信長はあまりの情けなさに笑いだし、哮喘の調子が悪く、吉野川近くの保養地で静養していたパチュリーは報告を聞くと、読んでいた書物を取り落とし、しばし絶句したという。 他にも何気なく兵が船縁を触ったところ、鉄片がポロリと取れたともいわれている。 やむを得ず、研究用に陸揚げしていた一隻の使用を急遽決定。 また、同時に行っていた安芸への進撃の為、鉄甲船に随伴する船が全て出払っており、呼び寄せるのに時間を要した。 港にあった物資だけでは足りず、急遽勝端城から輸送したのも進撃速度の低下の一因となった。 海に出たら出たらで、別の問題が発生した。水軍練度の低下により、航法を間違えた随伴の関船が数隻行方不明になったり、外洋に比べれば凪のような海のうねりに耐えきれず、横転する小早まででた。 それにもめげず、三好水軍は堺まで進撃を続けた。 姉小路側の対応 三好の現状をそれなりの精度で探知していた姉小路は、この大がかりな撤退戦を決断した。 兵、民は本願寺の坊官上がりの七里頼周をこの撤退戦を行える器ではないと見ており、必然的に堺の街の実力者達がその中心となった。 まず、名うての大手馬屋が薬師や産婦の協力の下、手持ちの馬を無償で、老人、子供、妊婦、身障者などに優先的に提供した。 飯屋を経営する者達は続々と撤退先の石山への街道上で炊き出しを行い、街道は炊き出しの湯気が至る所で上がった。避難民の多くは『むしろ、避難しているときの方が旨い物を食べられた』と後に語ったという。 呉服屋や京の高価な織物屋も迫り来る冬に備えさせるため、自ら蔵を開け、進んで着物を提供した。 豪華な錦の着物をきた童女を襲った盗賊衆が、これまた武具商人が提供した武具で武装した町民達に撃退されるという珍事まで引き起こしていた。 七里頼周が撤退の報を聞き、動き始めた頃には既に、民の半数が堺の街から脱出済みだったといわれている。 流通面でも異常ともいえるほどの迅速さでその流れを変えた。 2週間も立たぬ間に、敦賀から搬送された硝石は京都北方の西近江路、朽木街道で止められ、それぞれ坂本、京に一時的に保管された。 堺市内にあった物資は門真、住吉、天満、尼崎などに全て搬送され、後に改めて軍事物資は姉小路が買い上げ石山へと送られた。 貸付金などに関しても、小規模な者は全て豪商達の寄り合いが全額即金で保証し、自らの分は後に姉小路に求めるという形に勝手に決めてしまった。 交易船に関しても、岸和田、湊川などの近隣に避難させ、搬送できないと判断した場合は、これまで寄り合いが買い上げ、すぐさま燃やして、後に姉小路へと請求した。 あらかた終わった後、最後の仕上げとばかりに、鉄砲鍛冶、刀鍛冶の面々が残っていた丸薬を一斉に爆破し、自らの作業場を破壊し、敵が利用するのを完全に阻止した。 姉小路の内政官がせめて蔵の中の貴重品だけでも先に避難させようと意気込んで堺に入ったとき、既に市街地はもぬけの殻で、ねずみ取りの為の野良猫が多数いただけだったという。 それからしばらくして、三好水軍が攻撃を開始、堺を占領するに至る。
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金ヶ崎撤退戦 金ヶ崎撤退戦 あらすじ ステージ情報 武将データ 戦局展開・イベント ミッション 推奨携帯道具 特別会話相互 個別 攻略アドバイス 無双演武・織田の章一覧 あらすじ 信長は、絶対という因果を破り、京へ来襲。 三好の残党らを平らげた その後、信長は、将軍・足利義昭を統制下に置くと、 上洛命令に従わない越前の朝倉家討伐に動く だが、天下を狙う浅井長政の裏切りに遭い、 浅井・朝倉の挟撃を受けてしまう 信長は即時撤退を決意。久秀に先導役を命じると、 秀吉、光秀ら、他の家臣に殿軍を命じた ステージ情報 冒頭解説 絶体絶命の危機に陥った織田軍。包囲網を突破し、味方の危機を救え! 出現条件 六条合戦クリア 操作可能武将 松永久秀・柳生宗矩・明智光秀・森蘭丸・羽柴秀吉・竹中半兵衛・徳川家康・黒田官兵衛・柴田勝家 難易度 ★★★★☆☆☆☆☆☆ 制限時間 60分 勝利条件 すべての味方武将の退却地点への到達↓浅井長政と朝倉義景の撃破 敗北条件 織田信長の敗走、または味方武将3人の敗走 武将データ 織田軍 備考 浅井・朝倉軍 獲得 備考 織田信長 総大将ミッションNo.2の護衛対象選択禁止 お市 なし ミッションNo.5の成功条件撃破禁止 松永久秀 藤堂高虎 武器 ミッションNo.3の撃破対象 羽柴秀吉 ミッションNo.5の必要武将 齊藤龍興 巻物 ミッションNo.7の撃破対象 選択武将・甲 下記参照 磯野員昌 巻物 選択武将・乙 新庄直頼 不定 丹羽長秀 増援 宮部継潤 不定 森可成 遠藤直経 巻物 ミッションNo.1の撃破対象 織田信忠 浅井政澄 金銭 榊原康政 赤尾清綱 不定 海北綱親 金銭 ミッションNo.1の撃破対象 雨森清貞 金銭 朝倉景鏡 不定 朝倉景恒 不定 魚住景固 不定 真柄直隆 不定 高橋景業 不定 河合吉統 不定 前波吉継 不定 六角義賢 不定 真柄直澄 不定 山崎長徳 不定 富田長繁 不定 朽木元綱 なし 増援1ミッションNo.2の成功条件撃破禁止 阿閉貞征 不定 増援1 朝倉景健 不定 侍女×5 なし 増援2ミッションNo.5の撃破対象 大谷吉継 武器 増援3ミッションNo.4の撃破対象 浅井長政 道具 増援4浅井軍総大将ミッションNo.8の撃破対象 朝倉義景 武器 増援4朝倉軍総大将ミッションNo.8の撃破対象 武将選択 名称 備考 明智光秀 選択武将・甲 徳川家康 選択武将・乙 柳生宗矩 甲・乙のいずれか 森蘭丸 竹中半兵衛 甲・乙のいずれかミッションNo.7の必要武将 黒田官兵衛 甲・乙のいずれか 柴田勝家 甲・乙のいずれかミッションNo.5の必要武将 無双演武では、選択武将によって登場する武将が変化する強制出撃武将選択時は、明智光秀と徳川家康が優先的に代理出撃 模擬演武では登場しない 戦局展開・イベント 開始直後、ミッションNo.1が発生。 ミッションNo.1達成後、織田軍が退却路を確保。敵増援1の朽木元綱と阿閉貞征と朝倉景健が出現。織田信長が退却地点へ進軍開始。ミッションNo.2が発生。 ミッションNo.2成功時、朽木元綱が自軍に寝返る。 ミッションNo.2終了後、織田信長(成功時は朽木元綱も)が撤退。味方増援が出現し退却開始。全ての砦の門が開門。 味方武将退却開始から一定時間後、ミッションNo.3が発生。プレイヤー武将が羽柴秀吉か柴田勝家の場合、二将のいずれかがお市に接近後、ミッションNo.5が発生。 ミッションNo.5発生後、敵増援2の侍女が5人出現。 味方武将2名が退却地点へ無事到達した場合、ミッションNo.6が発生。 プレイヤー武将が竹中半兵衛の場合、竹中半兵衛で齊藤龍興に接近後、ミッションNo.7が発生。 ミッションNo.3達成後、もしくは味方武将のいずれかが北脱出地点近くに接近後、敵増援3の大谷吉継が出現。ミッションNo.4が発生。 味方武将が全員退却(2人敗走分を含む)後、敵増援4の浅井長政と朝倉義景が出現。勝利条件変更。味方武将敗走数が0人の場合、ミッションNo.8が発生。 ミッション 番号 名称 内容 備考 No.1 敵の囲いを突破せよ! 退却路確保のため、遠藤直経と海北綱親を撃破せよ! No.2 朽木越え 織田信長と朽木元綱の合流を援護せよ! 朽木元綱は撃破禁止 No.3 藤堂高虎の待ち伏せ 藤堂高虎を撃破せよ! レア武器ミッション:松永久秀 No.4 大谷吉継の待ち伏せ 大谷吉継を撃破せよ! レア武器ミッション:柴田勝家 No.5 ☆姫様との戦いは御免 お市を説得するため、侍女のみを撃破せよ! 必要武将:羽柴秀吉・柴田勝家撃破対象の侍女5名を撃破で成功。お市は撃破禁止 No.6 ☆総退却 すべての味方武将を退却地点まで護衛せよ! No.7 ☆遭遇 斎藤龍興を撃破せよ! 必要武将:竹中半兵衛 No.8 ☆浅井長政と朝倉義景 朝倉義景と浅井長政を撃破せよ! 制限時間:2分 ☆はボーナスミッション 推奨携帯道具 名称 備考 団子 友軍の回復用。特に集中攻撃を受ける織田信忠・丹羽長秀が敗走しやすい。 戦草鞋 救出行動用。 特別会話 相互 対象武将 内容 話者 発言 羽柴秀吉 竹中半兵衛 羽柴秀吉 半兵衛! 下がれ、下がれ!軍師がこんな危ないとこにいちゃいかん! 竹中半兵衛 あのねえ…。軍師ってのは主君の側にいるもんです 竹中半兵衛 俺の身を案じてくれるんなら、もう少し安全な場所にいてください、秀吉様 個別 使用武将 対象武将 内容 話者 発言 松永久秀 浅井長政 松永久秀 心優しき男の怪物退治、始まり始まり~! 浅井長政 手始めに怪物の手先を倒すとしよう! 松永久秀 その決意に揺るぎなし。実に結構! 明智光秀 浅井長政 明智光秀 長政殿…なぜ…友誼の柱を折ってしまったのです! 浅井長政 光秀殿…すまない。一時とはいえ、そなたとの友誼は、楽しいものだった 明智光秀 長政殿…! 森蘭丸 浅井長政 森蘭丸 浅井長政!信長様を窮地に陥れた罪、償ってもらいます 浅井長政 敵意むき出しだな。だが、簡単にはやられないさ! 羽柴秀吉 お市 お市 どきなさい! 長政様のため…私はお兄様を討たねばならぬのです! 羽柴秀吉 お、お市様と戦えるわけがねえ…!お市様の周りにいる兵だけを攻撃するんじゃ お市(撃破) 羽柴秀吉 お市様、もう護衛はおりません!どうかどうか! ここは退いてくだされ! お市 サルに情けをかけられるなんて… 浅井長政 羽柴秀吉 長政殿…何もお市様まで巻き込む必要は…! 浅井長政 市は織田へ返したかった…。だが、市は某と共に歩むことを望んでくれた 浅井長政 だから、某は市と手を取り合って戦い抜く。生きるも死ぬも…夫婦一緒だ! 羽柴秀吉 あー! もうどうなっても知らん! 竹中半兵衛 斎藤龍興 竹中半兵衛 あれ~龍興様、久しぶり!生きてたんだ!浅井にいるの? 斎藤龍興 き、貴様は半兵衛! おのれ!斎藤を見捨て、織田についた裏切り者め! 竹中半兵衛 変わってないね、龍興様は。すぐカッとなるとこも、弱いとこも 浅井長政 浅井長政 義兄上のやり方では世は収まらぬ。だから、某は背いた 竹中半兵衛 その気持ちはよくわかるけど…。長政さんは優しすぎるから、失敗するよ 竹中半兵衛 残念ながら、乱世を打破するのは信長。そして天下をまとめられるのは秀吉様だよ 徳川家康 浅井長政 徳川家康 長政殿…。信長公の盟友として、そなたを討とう 浅井長政 盟友…。本当にそなたと義兄上は対等であろうか? 徳川家康 …わしは惑わされませんぞ 柴田勝家 お市 お市 どきなさい! 長政様のため…私はお兄様を討たねばならぬのです! 柴田勝家 お、お市様…ここは危のうござる お市(撃破) 柴田勝家 お市様、下られよ! 今ならまだ… このステージは使用可能の武将全員に全軍撤退開始時・撤退成功・戦闘終了時で台詞が違う。 撤退開始時 撤退成功 戦闘終了時 攻略アドバイス ミッションNo.6を成功させないとNo.8が発生しない仕組みになっている。 ただし、すべての砦が開門した途端に織田信忠と丹羽長秀が士気の高い南方面を突っ込んでしまうため、 北から援軍に現れる藤堂(ミッションNo.3)と大谷(ミッションNo.4)を素早く倒してから、 信忠の救援をしないと敗走する恐れがあるので注意。 軍馬や戦草鞋と、そして信忠を回復させるため携帯道具の団子を用意した方が望ましい。 北方の斎藤龍興は開門と同時に大谷のいる東方面に移動するため、プレイヤーが半兵衛の場合、こちらに行かせるべきだろう。 無双演武・織田の章一覧 第一話 第二話 第三話 第四話 第五話 第六話 第七話 第八話 桶狭間の戦い(織田の章) 信長上洛戦 六条合戦 金ヶ崎撤退戦 野田福島の戦い 長篠の戦い(織田の章) 紀州征伐 本能寺の変
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作戦 【装備】 ≪全般≫ 発煙弾、閃光弾を発射。敵の視界を奪う 【体術】 ≪全般≫ 可能ならば、偽装工作によって敵の追撃を躊躇わせる 足の遅いものを護衛と共に先行させ、殿は戦闘力の高い者が行う。 脱出経路と手段を予め把握もしくは戦闘中に入手しておく。 倒した敵から、敵に関する情報を出来る限り入手解析。予め頭に入れておく。 情報端末やケーブルからデータの吸出しを行い、脱出経路までの見取り図を手に入れる。 案内板を見る。こういう重要な物は目立つマークになっているはず。 どこも構造は似ているのである程度分かる 現地のエースに撤退のルートに関して助言をしてもらう 使わない乗り物もあるだけ動かして囮にする 迅速に脱出する為、戦闘は極力控える。 機器の誤作動でシャッターが閉じていればこじ開けて開いて進む。 隠密行動しつつ速度重視で脱出をはかる。 背後を狙われる危険性もある為、必ず背後を警戒する。 乗り物や設備に自動攻撃させて脱出の援護をさせる 付近の隔壁などを閉鎖し、時間を稼ぐ。 移動通路の一部を破壊して敵の足止めをはかる。 敵のセンサー類を騙す為に偽装を施す 車や壊れた船の残骸を利用して追撃を逃れる 姿勢を低くして移動することで敵の弾に当たりにくくする 死体は動きを阻害しないように背中に担ぐ 必要ない装備は捨てる イラスト SS RP まとめ
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尾張撤退戦 尾張撤退戦(おわりてったいせん)とは永禄9年に姉小路家と武田家の間で起こった戦いである。 参加兵力及び戦力評価 姉小路・清洲城兵52154 足止めとして9154 守将:武田信虎 残物資 馬:18237 鉄砲:30500 撤退部隊(11月25日) 鉄砲隊9500:下間頼廉、中川清秀、斎藤龍興 騎馬隊9000:博麗霊夢、霧雨魔理沙、八意永琳 鉄砲隊9500:松永久秀、鈴仙・U・イナバ、六角義治 鉄砲隊5000:赤井直正、八雲藍、橙 鉄砲隊5000:蓬莱山輝夜、小野寺輝道、前田利益 鉄砲隊5000:籾井教業、淡河定範、松倉重信 (12月10日) 騎馬隊5000:武田信虎 稲葉山城兵(増援)(11月10日) 騎馬隊9500:羽柴秀吉、滝川益重、荒木氏綱 騎馬隊8500:丹羽長秀、羽柴秀長、宮部継潤 武田・岡崎城兵163500 武田信玄 :騎馬隊22000 武田勝頼 :騎馬隊20000 武田義信 :騎馬隊14000 高坂正信 :破城槌隊14500 武田信繁 :破城槌隊14000 太田資正 :破城槌隊9500 原虎胤 :破城槌隊9500 初鹿野昌次:騎馬隊9500 成田長泰 :破城槌隊9000 秋山信友 :騎馬隊8500 木曾義康 :騎馬隊7000 長野業盛 :足軽8500 内藤昌豊 :弓隊9000 大久保忠世:弓隊8500 清洲城を中心とする尾張の防備大勢は不十分であり、武田軍の戦力は圧倒的である。撤退を決断したのも無理はないだろう。 合戦概要 8月初旬に陥落した尾張清洲城の守りが手薄と見た武田軍は、尾張奪還の好機と捉え三河岡崎城から総勢16万を越す大軍を持って攻め込んだ。 これに対し姉小路軍は稲葉山城から後詰めを要請したものの、軍監である八意永琳により撤退を決断。 武田先鋒隊が尾張領内に進入した11月25日に撤退を開始した。殿には武田信虎と兵9000がこれを務めた。 12月10日、十分に時間を稼いだと判断した信虎が騎馬隊5000と共に撤退を開始しようとした矢先、武田軍は木曽川の堤防を決壊させ清洲城を水攻め。 その様子は城が湖の上に浮かんでいるようであった。 武田軍の重囲の中、霧雨魔理沙は堤防の一部を破壊することに成功。 水が引いたことで信虎は残る僅かな動ける兵を率いて辛うじて武田軍の包囲を突破した。 清洲城に残っていたのは元々北条方の傷兵達であったため、12月20日に降伏。 清洲城に二度武田の旗が翻った。 この戦いの影響 姉小路包囲網は各地で敗戦を繰り返していたが、この戦いの勝利で武田家は盟主としての面目を保つとともに、各国の士気をあげることに成功した。 また、富裕な尾張国は武田軍を経済面で大きく支えた。 逸話 この戦いについて、太田牛一は『騨侯記』の中で「まつながじぶ、謀りごと用いて武田と通ず、と京童噂しけり」との記事を残している。 謀の存在は、先の伊勢侵攻ともども明らかではないが、まつながじぶ、則ち松永治部大丞久秀が何らかの行動を行った可能性は決して低くないと、歴史家は一致見解を見せる。 当時畿内は一大商業・農業圏として、著しい発展を遂げ、姉小路領のみならず、日本全国から見ても圧倒的な生産量を見せていた。 そして畿内を抑えることは、姉小路家の財政を支え、姉小路強大化の元でもあった。 故に、姉小路の金庫ともいえる畿内を抑える大和衆は、極めて大きな権限を持つはずであった。 しかし実際は、要所を姉小路家直轄地や、姉小路主力・美濃衆に抑えられていた。 また美濃衆がより古参であることもあって、大和衆はそれほど大きな権力を持つことができなかった。 これは、大和衆が美濃衆に反感を持つ要因となる。 さらに、永禄九年(1566年)4月の稲葉山防衛成功・6月の尾張攻略は、美濃衆がより権力を得る結果をもたらしている。 特に、肥沃な尾張を美濃衆が得ることは大和衆が最も危惧すべきことであった。 畿内にも多数の所領を持つ美濃衆は、大和衆の急所を握っている同然であり、尾張の生産力を手に入れることで大和衆を滅ぼすことも容易となったからである。 その状況を鑑みれば、大和衆がその権力を維持するため、武田による尾張侵攻を誘発し、 美濃衆をあわよくば壊滅させようとすることも、決して不思議ではないのである。 結果的に美濃衆壊滅とはならなかったものの、尾張喪失による生産力の低下、敗戦による損害によって、美濃衆の影響力は戦の前から比べると低下している。 なお、ほぼ同時期に北条家家臣某が、松田憲秀に内通の嫌疑ありとの書状を残している。 この嫌疑については一度沙汰止みとなっているが、この時期の北条家内に対し謀をしかけるような人物は松永久秀しかおらず、内通相手が松永であることはほぼ間違いない (松永・松田間の書状は現存していないが、松永ほどの謀略家が己の謀が露見するような物を残すはずがない)。 おそらくは伊勢・尾張を切り取り大和とともに姉小路家からの独立をもくろみ、 かつそれを維持するため武田家の同盟を画策していたとの推測がなされている(ただし、この説の蓋然性は低い)。 結局それは尾張侵攻とこの撤退戦により不発に終わっているが、 実際に独立するならば武田との同盟が、かつての徳川・織田同盟のように必要であるは想像に難くない。 また、伊勢・大和を武田に差し出す形での独立・同盟を目論んでいる可能性もある。 清洲城はわずか3年ほどの間に織田→武田→北条→姉小路→武田と持ち主を変えた。 持ち主を変える度に大きな戦いが行われたため、織田家が領有していた当時は繁栄を誇っていた城下町も、 姉小路家が領有する頃には軍事施設を除けば城兵のための臨時の市が月に数度立つ程度で、荒廃しきっていた。 住民の多くは津島、桑名等の伊勢方面や、交通の要衝で門前町もある熱田へ移住したという。 武田信玄が清洲水攻めを決断した背景に、元々荒廃している清洲を水攻めしても経済的にさして悪影響がないことがあったと考えられる。 清洲城は平城で標高が低く、水量の多い木曽川も近いため水攻めをする条件は揃っていた。数万の足軽に多額の金子を与え、突貫工事でまたたく間に堤防を完成させたという。 時、折りしも冬であったため、水量はさほど多くは無かったが、それでも城内の大部分を浸すには十分であった。 むしろ、冷水によって多くの兵が凍え、士気の低下が深刻となった。 姉小路軍は懸命に排水作業を行ったが、効果はあまり無く、むしろ作業をする者を凍えさせるのみであった。 この戦いでの死者には多くの凍死者が含まれていたという。
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思っていたのと違った、忙しくてできない、など企画撤退の場合についてです。 企画撤退は、企画主催の皇臥にご一報ください。 そしてキャラシ等を下げるのみで結構です。 仲良くさせていただいていた方がいる場合はそちらにもメッセをお送りした方がよろしいかと思います。 撤退しました、などのイラスト絵は投稿しない様、お願い致します。 メッセージを送る際には、自分のキャラクターの名前を明記してください。